講演家&PCスキルアップアドバイザーの晴田です。
今日は自分自身の深掘りについてです。
前回の自己開示にも関連する内容になります。
今感じている感覚
今当たり前に感じている感覚
例えば正義感や
特定の物事に対する嫌悪感など
幼少期の経験がもとになっているという話があります。
でもじゃあどれがもと?
ってなると
なかなか分からないんですよね。
しかも原因となるものが
自分の認識としては
ささいなことであったり
そこまで大きなものと考えていなかったりするので
なおさらそこに焦点を当てることがないのです。
過去にあったささいなこと
それで自分はそういうことを
あまり考えないでいたのですが
つい先日
考える機会がありました。
別に忘れていたわけではなく
たまにネタとして話していた内容でした。
簡単に言うと
小学校六年生の時に
帰りの会で帰りの歌というものがあったのですが
その日の歌で
周りが音程を外していたのです。
それで私は一人で
正しく歌ったのです。
ところが
歌の後の担任の先生のコメントが
まるで私だけが音を外して歌っていたような内容だったのです。
その時には
自分だけが正しかったはずだとは言えず
モヤモヤしていたのです。
その後
似たようなことが中学校3年生の時にあり
その時は確認を促して
私が正しく歌っていたことが証明されました。
同時に
やっぱりあの時もそうだったはずだ
とも思ったのです。
そんな事件でした。
実はささいではなかった
これを話したところ
それは大事件だったはずだと指摘されました。
そこから深掘りが始まりました。
まず
小学校のその事件で
どう思ったのか
それから
その後のどんな考えや
行動につながっていったのか
ということを聞かれました。
自覚しているところでは
その後の中学校生活では
言いたいことを
言うようにしていったので
行動が真逆に変わった転換点とも言えます。
その他にも
そこから派生した
感情や行動などについて
細かく分析していくと
けっこうその後のいろいろなことに
つながっていったことが見えてきました。
やるべきことが見える
そんなふうに
過去から現在の分析をしていくと
自分の中心にあるものが見えてきます。
それが分かれば
進むべき方向性も見えて
迷わずに進むことが
できるようになります。
この確信は自分の力になります。
同時にまだ気付いてないものが
いったいいくつあるのだろうとも思いましたね。
無意識に溜め込んだ何かが
自分そのものになっていることがあり
それを自覚するだけでも
違ってくるのかなと思います。
まとめ
自分にとっては
ささいな出来事でも
分析してみると
人生に大きく
かかわっていたりするもの
だと分かりました。
すぐに思い出せることがあれば
一度分析してみると
明らかになることが
あるかもしれませんね。
今日もありがとうございました。
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