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共存の中で見つける自分の居場所

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カリキュラム

こんにちは、コウヤです。

いつもご覧くださり、ありがとうございます。

初めましての方も、ありがとうございます。

さて、今回は

「共存の中で見つける自分の居場所」

というテーマでお伝えさせていただきます。

よろしくお願いいたします。

人は一人では生きていけない

私たち人間は、一人では生きていくことはできません。

極論ですが、自給自足の生活をしている人であってもです。

なぜなら、私たちは命をいただきながら生きているからです。

自給自足とはいえ、土や生き物、住居などの原料は自分では創り出せず、自然にあるものを活用させてもらっているのですね。

今の時代では、色々な働き方や生き方があるのですから、一人で生きていくことなど困難なのです。

共存する代償

人は一人では生きて行けず、自然や他の人々と共存する道を選び、今に至ります。

特に他の人々と共存する代償として、人々は悩みを持つようになりました。

その悩みのほとんどは、人間関係に起因します。

人間関係の悩みは、本当に多岐に渡ります。

他の人から「その程度のものか」と思われるものもあれば、本気で自我が崩壊するくらいまで追いつめられるものもあります。

なぜ人間関係が悩みの種になるのでしょう?

そもそも、人は自分とは違うものを排除しようとします。

  • 自分と合わない価値観の人
  • 自分の意見に賛同してくれない人
  • 自分の地位を脅かす人
  • 自分と考えや意見が合わない人
  • 自分を理解してくれない人

など、その人やグループ、チームにとって合わない人が排除されがちになります。

たとえとのグループやチームにとって戦力になる人であっても、主力となれる能力をもっている人であっても、その可能性や能力を評価せず、自分たちに合わないという短絡的な視点で排除されることが、結果としてそのようなグループやチームは確実に廃れていきます。

もっとも、色々な人を傷つけたり、迷惑がられたりする行為を繰り返した結果として排除される場合は別ですが・・・そういった人は、「悪いのは私の周りだ!」と被害者面100%で生きています。

自分を受け入れてくれるコミュニティはある

もちろん、排除される側としては本当に落ち込みますし、ショックも受けます。

私も組織から排除されるような言葉を浴びせられたこともありますし、実際に排除されるような出来事に遭遇したこともあります。

結果として、その言葉を浴びせた人は数年後に私以上に酷い仕打ちを受けて組織から排除され、私が排除される出来事に加担した校長も未経験の地へ左遷させられました。(その出来事を引き起こした加害者一族も、家庭環境や夫婦関係もグチャグチャな上に、同じ子供や親御さんの中では全く相手にされず無視されているみたいです。)

何年か後にその人たちの話を聴いても、私はスカッとすることはありませんでしたし、恨みも消えません。

たとえ全力で謝罪されても、許す気は全くありません。

もちろん当時の私も、もっと上手く対応できれば結果は違っていたかも知れません。

ですが、被害を訴えた子供とその家族のために全力で対応したことに悔いはありません。

その結果として、私は加害者一族と校長により心も信念も踏み躙られました。

そして公立の小学校を辞め、今の私があります。

何年も授かれなかった子供も生まれました。

当時の現状を含め、私の行動や思いを受け入れてくれた人々も沢山いました。

今の貴方を受け入れてくれるコミュニティは必ずあります。

そのコミュニティを探すためにも、日々の中で行動することが大切です。

行動する中で、生きる目的や働き方を見つけることが出来ます。

人は一人では生きていくことができません。

なので、貴方を受け入れてくれるコミュニティに所属すると、貴方らしく生きていくことが出来るかも知れません。

まとめ

今回は、共存の中で見つける自分の居場所というテーマでお伝えしました。

人は一人では生きていけず、自然や他者と共存することで成り立っています。

しかし、人間関係は悩みの種となり、自分と異なる価値観を持つ人を排除しがちです。

排除される側はショックを受けますが、必ず自分を受け入れてくれるコミュニティが存在します。

過去の経験から、行動を通じて自分に合った居場所を見つけることが重要であり、そうすることで自分らしく生きることができるのです。

この記事を書いた人
コウヤ

こんにちは、コウヤです。
小学校教師を11年、塾講師を1年勤めている、我が子大好きな親バカ教育者です(笑)

昔から夢だった小学校教師になり、採用試験が受かった時は跳びあがるくらい喜びました。
「これで、未来の子供たちや保護者たちの救いや助けになれるように頑張れる」
と思い、凄く喜んだことは今でも忘れません。
11年という小学校教師での生活を通して感じたことは、
「私は子供たちや保護者たちを救ってきたよりも、私が子供たちや保護者たちによって助けられ、支えられ、救われてきた」
ということです。
そのくらい、私にとって今までの教え子と保護者たちとの関わりは非常に大切なもので、かけがえのない宝物でした。

今は小学校教師を退職しておりますが、教育に携わりたいという気持ちはずっと変わりません。
これから先も、子供たちや親御さんたちにとって、教育を通して救いや支えになれるような働き方や生き方がしたいと思っております。

このブログでは、私の感じたありのままのことを発信していくつもりです。
そして、ご覧くださった方々の中に、私のブログを読んで救われたり、心が癒されたりしたという方がいらっしゃれば、これほど嬉しいことはありません。

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