講演家&PCスキルアップアドバイザーの晴田です。
今日は正しさというゆがみについてです。
正しさという曖昧さ
物事の正しさというものは
その時々で変化してしまったり
定義によって変わったり
見る方向によって変わったりと
一定の基準や規準を設けるのが
難しいものだと感じます。
よく
それぞれに正義がある
というようなことが言われますが
まさにそれですね。
ですから
同じ分野でもそれぞれの人が
まったく真逆のことを言っていることもあり
特にその分野での知識が無い人は
混乱するわけです。
引き寄せの法則なんかは
たくさんの本が出ていて
それぞれ少しずつ主張が違っていたりしますよね。
その本を書いた人にとっては正しい内容で
別の人にはまったく正しくない内容になる
ということも
世の中多々あるわけです。
鬼のお話
例えば鬼をご存知でしょうか
鬼と言えば
昔話などで
悪の象徴とされています。
例外的なのは私が知る範囲では
『泣いた赤鬼』
くらいでしょうか。
鬼退治として有名なのは
源頼光
渡辺綱
坂田金時
などでしょう。
今でもワタナベ家とサカタ家は
その名字に使用される漢字を問わず
豆まきが不要です。
渡辺綱と坂田金時の影響で
鬼が恐れて近付かないと言われるからです。
こういった物語に
共通するのは
鬼が悪いことをしていて
人間を守るために
退治したという筋です。
ですが
いろいろな言い伝えなどを集めると
鬼の子孫という方の話もあり
興味深い話も出てくるのです。
鬼と言っても別に角が生えているということではなく
身体が大きく
力が強い一族の人だったという話です。
鬼側としては
平和を望んでいたにもかかわらず
戦への協力を求められたといいます。
それを断ったところ
自分たち以外の勢力への協力を恐れた人間側が
それならばということで
滅ぼすことにしたという話です。
鬼側の視点で語られる
こういった話を聞くと
悪いのはむしろ人間側で
鬼側は被害者じゃないのか
と思うわけです。
この真偽をここでどうこうはできませんが
何が言いたいのかというと
一般的に正しいと言われていることも
視点を変えると
まったく真逆のストーリーであることも
普通に存在するということです。
ビジネスに関して
ビジネスに関しても
同じ分野でも
言っていることが真逆の人たちがいます。
〇〇をすれば無双
と言っている人がいるそばで
〇〇をしてはいけない
という人がいたりします。
個人的には
別にどちらでも
やるなら自分に合った方法をすればいい
と思うのですが
知識ゼロの状態では
どちらいいかということすら
判断しようがないので
分からないわけです。
耳障りの良い言葉で勧誘したり
不安を煽って勧誘したり
今はこれをやるべきだと煽ったり
まぁいろいろなわけですが
どちらが正しいかというのは
やった人が
きちんと結果が出せるかどうか
ということでしか判断できませんし
どちらも結果を出せる可能性もあるので
どちらも正しいということもあるわけです。
だから正しいは難しいのです。
ウソではない情報
捉え方によっては正しいけど
認識の違いで話が変わるようなものもあります。
例えば
合計1000人に
総額百万円プレゼント
なんて場合に
これはよく考えずに見ると
1000人に百万円が当たる
と勘違いしてしまいそうですが
実際は
総額なので
1000人にそれぞれ1000円
ということになります。
あとは
すぐに収益化できますよ
とかの話でも
その収益化という認識が
1円なのか1000円なのか
はたまた
二十万円以上なのか
などによって
まったく話は変わってきて
受け取り方も変わりますが
単に収益化という言葉では
この差が分からないので
話が違うということになります。
意図してかどうかは別として
1円でもウソにはならないわけです。
ですが
認識がずれていると
ウソだった!
という印象になるわけです。
ですから共通の正しさを共有するためには
けっこうなすりあわせが必要になるわけです。
逆にこれを利用して
人を騙す人も後を絶ちません。
まとめ
正しい
という一見誰もが共通認識を持っているような
一般的な言葉ですが
その根底にある定義や
視点についての共有ができないと
同じ正しさを認識できません。
この正しさのズレが
争いを生んでしまうので
物事を判断するときには
ちょっと俯瞰して
客観的に見る習慣をつけたいものだと思います。
今日もありがとうございました。

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