講演家&PCスキルアップアドバイザーの晴田です。
今日は認める勇気についてです。
認めない大人
子供が自分に都合の悪いことを認めない
こんなことはよくあると思います。
場合によっては子供でも
たちが悪いと感じます。
もちろん
大人ならばなおさら
たちが悪いです。
認めない大人
たちが悪い大人のジャンルについて
今回は見ていきましょう!
ただし!
あくまでも私の個人的な考えですので
ご了承くださる方のみ
お進みください笑
現状を認めない
生きていれば
自分の思い描くものと
現実がずれてしまうことはあるかと思います。
だからといって
夢をあきらめる必要もないですし
夢を変更する必要もないと思います。
むしろ
現状をしっかりと見つめて
必要な要素を知ることで
道筋が見えて
夢に向かっていくことができると思うのですが
中には
現状を受け入れず
認めず
どん底に落ちていくような人もいるようです。
ある種の洗脳状態にある場合も
こういった特徴が見られます。
周りが何を言おうが
カルトから抜け出せないとか
さまざまです。
下を見ていたら
自転車には乗れない
というような例えをされることがありますし
要するに
目標をしっかりと見据えて行動することは
大事だと思いますが
足下を確認するという作業は
時々必要になるのだと思います。
自分の現在地を見て
そこにいることを認めることが
正しい選択肢を選ぶために
必要だと思っています。
間違いを認めない
間違いを認めない大人がいます。
これは可愛いレベルの内容なら良いですが
最悪の場合
人の命に関わるものもあります。
そのくせ
こういったジャンルの人に限って
他人の間違いには厳しく
間違いを認めないことを責めます笑
要するに
自分を見つめることができない人なのでしょう。
ただ笑えないのは
これが政治に関わることになると
国民生活に直結してしまうということです。
実際問題として
すでに起きていて
改善されていません。
消費税が間違いだったとは
言えないのでしょう。
経済政策の間違いも
まったく認めません。
認めないために
間違い続けるという
最悪の循環になっているのかも知れません。
政策転換してしまったら
間違いを認めたことになるわけなので。
たちが悪いですね。
ニュースなどの報道も同じくです。
私が初めて
え?
となったのは
サリン事件の時です。
一般の方が疑われ
テレビでは犯人扱いでした。
ニュースの次の日
学校で化学の先生が
知識がないと作れないらしく
意図的だったとしか思えない
というような話をしていました。
が事実は違っていました。
犯人ではなかったのです。
あれについて
誰かが責任をとったのかどうか
調べてないので分かりませんが
よく分からないことを
憶測で語ることの罪深さを知った事件でした。
にも関わらず
その体制は
今も続いていると感じてしまいます。
明らかな間違いですが
体制自体の間違いについては
どうやら認めていないようです。
無知を認めない
さきほどの報道の話ともかぶりますが
知らないことは知らない
それでいいと思うのです。
ですが
そこそこの地位をもつと
どうもそれを認められなくなるようです。
これは前にも書きましたが
知らないなら知らないでいいんです。
それを知らないにも関わらず
知ったかぶって発言するからダメなんです。
しかも上から目線だから余計にダメで
見ている方が恥ずかしくなるわけです。
極端な話
ちゃんと基本的な事を教えたら
小学生でも間違いに気付くようなことを
間違いとも気付かずに
上から目線で言っていることも
世の中にはあるわけで
だからといって
そのことを指摘されても
無知を認めないのですから
これまた
たちが悪いです。
それどころか
逆に指摘する方が間違っているという
恐ろしい判断をするので
つくづく残念だなぁと思うのです。
社会で間違いが明らかになっていることも
けっこうあるわけですが
それについては
どう思っているのでしょう。
まとめ
認めるということは
もしかすると
大変な苦しみを伴うのかもしれません。
ですが
場合によっては
それによって被害を受ける人が出たり
社会全体が被害を受けることですらあり得ます。
必要なのは
謙虚な姿勢なのではないかと思うのです。
今日もありがとうございました。

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