講演家&PCスキルアップアドバイザーの晴田です。
今日は呪いか祝福かについてです。
刷り込まれている?
私は特に親に不満はないと思っていますが
不満までいかずとも
引っかかることはあるのです笑
その中でけっこう
呪いのように刷り込まれているなぁ
と感じるものがあります。
それは
「本当に〇〇な人は」
という言葉です。
本当に〇〇な人
例えば
塩辛ってありますよね。
そうです
あの塩辛です。
それであるとき
あぁ子供の時のあるときです。
食卓に塩辛の瓶がありました。
酒盗ですかね。
それまでは
イカの塩辛が自分の中で塩辛だったので
なんとなくそれは塩辛ではない感じでした。
今では好きですけどね笑
それでなんとなくの記憶ですが
いつものやつ(イカの塩辛)の方が好きだとか
何とか言ったと思います。
すると出てきたのが
「本当に塩辛が好きな人はこれが好きなんだよ」
という答えでした。
言いたいことは今は分かる気もしますが
今でもおかしいなと思います。
それは
本当にイカの塩辛が好きな人もいるのではないか
という思いでした。
塩辛という大きなジャンルではなく
私はイカの塩辛か酒盗かという比較をしていたのですが
それをある意味全否定されたように感じたのです。
実はその「本当に〇〇な人は」
というフレーズは
母がよく使うもので
例えばトンテキ
子供の頃たまに
厚めに切った豚肉の生姜焼きみたいな
ジャンル的にはトンテキに入ると思うのですが
それが食卓に並ぶことがあったのですが
脂身が苦手でした。
それで脂身だけ残したのです。
その時に言われたのが
「本当に肉が好きな人はあぶらも好きなんだよ」
という言葉でした。
さぁ大変です!
肉が好きなのに
このままでは
本当に肉が好きな人ではないことになってしまいます!
そう考えた子供時代の私は
次から脂身と肉を一緒に食べるようになりました。
まぁ確かにうまいのは分かるのですが
食べ盛りですからね笑
その後少し体型が丸くなっていきました笑
すると!
あぶらまで食べるからそうなる
みたいな事を言われたのでビックリです!
だったらあんな煽りみたいなことを言わずに
放って置いてくれたらよかったじゃないか
そしたら今も食べてないかも知れないのに
と納得のいかない思いを抱いたというわけです。
刷り込みなのか?
そういう
「本当に〇〇な人は」
から始まるフレーズは
その後も度々あったと思います。
そして私は今も
本当に〇〇な人は
という言葉を聞く度に
塩辛の事件を思い出しながら
人それぞれの本当があるのではないかと
毎度毎度思うのです。
それこそ呪いのようにこびりついていますね笑
どう捉えるか
一方で間違いなく言えるのは
そのフレーズがあったことで
本当の〇〇
という言葉に抵抗を覚えて
その意味について
深く考える機会を得たということです。
納得のいかない思いは
思考する機会を生んで
自分なりの結論を導くキッカケになりました。
もしかしたら
哲学まではいかなくとも
ものごとの本質について思考するのが好きな理由は
そこにあるのかも知れないと
今では思うのです。
まとめ
大したことではないことが
深く記憶に刻まれてしまうことがあります。
ただそれも捉え方次第で
呪いにもなり
祝福にもなるということは
なかなか興味深いことだと思うのです。
今日もありがとうございました。


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