講演家を目指すPCスキルアップアドバイザーの晴田です。
今回は流れというものについてです。
流れとは何か
流れと言う言葉はよく聞いたり
使ったりすることがあると思います。
それこそ人生の流れという言い方であったり
またはギャンブルなどでも使われるなど
幅広く使われる表現です。
では流れとは何かと考えると
要するに方向性の一致と言い換えることができるかと思います。
Aという事象の後に
Aを原因とするものではない
Bという独立した事象が起きた時
このAとBの方向性が一致するならば
流れが来ているという表現がされるのではないでしょうか。
ですから人によっては
それは単なる偶然で
流れなんてものは存在しないと言うかもしれません。
では私の考えはどうかというと
流れはあると確信しています。
偶然は必然的に起こる
という意見に同意します。
今回は流れがあることが前提のお話です。
流れを感じる
点で見る視点から
線で見る視点にしていくことで
つながりのなかった出来事を
つなげて考えることができるようになります。
振り返って初めて見えることかも知れませんが
何気ない出来事がきっかけとなって
今の何かにつながっているということがあります。
またはその時に気付かない何かが
共通点としてそこに存在し
その後の出来事が起こっていくということがあります。
もちろんその時には気付けないことがあったり
後から考えて初めて分かることもあります。
あれがあったから
あそこで
ああ判断して
行動した結果
今があるな
ということを感じたことがある人は
多いのではないでしょうか。
そこには目に見えない
感じ取ることも難しいながら
なんらかの流れがあったとしか思えません。
そしてその流れをあらかじめ知っておくことができれば
迷いなく突き進むことができると感じます。
ですが
それはそうだとしても
その時には分かるはずがないから
生かすことなどできるわけがない
とも思ってしまうのではないでしょうか。
予知能力があるわけでもない我々には
過ぎた望みなのでしょうか。
能力者でないものの武器
予知能力のような
いわゆる見える能力がないと
未来に感じる理解を
それが起きた時点で感じることが難しいのは
間違いないと感じます。
もしかしたら頑張ったところで
多くのことについては分からないかも知れません。
ですが、
凡人であったとしても
過去の出来事を参考にして
未来を予見することは
決して不可能ではないわけです。
以前の「予見について考える」にも同じようなことを書きました。
予見することができるのは
流れというものがあるからで
1つの点の時点では気付けないことも
2つ以上の点を結んだときに
その方向性について気付ける可能性が出てくるわけです。
ただしその際には
この世界には流れがある
ということを
確信していないといけないとも思います。
あると思ったものはあるのです。
量子力学的な感じですね。
まとめ
ものごとを点と考えるのも自由ですが
流れがあると確信すれば
その点と点を結んで方向性を見出し
流れを捉えることができると感じます。
個人的にはこれも一種の技術だと思っていて
普段から意識することで
精度が磨かれるのではないかと考えます。
ただしあくまでも
個人的な意見ですので
参考までにでした。
今日もありがとうございました。
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