講演家&PCスキルアップアドバイザーの晴田です。
今日は歴史についてのお話です。
歴史を学ぶこと
歴史が好きなので
さまざま調べるわけですが
ここ最近は縄文や古代について
調べることが多かったのです。
歴史を学ぶことは
歴史から教訓を得たり
生き方の指針を得たり
そういう効果がありますが
時代によって
ポジティブな要素が多かったり
ネガティブな要素が多かったりするので
学ぶことで楽しいとは限らないわけです。
例えば
私が歴史を学び始めた最初は
第二次世界大戦についてでした。
中でも日米戦争になるのですが
あの時代は学べば学ぶほど
とても悔しい思いがして
それこそ夜でも目が冴えてしまうのです。
なぜこれほどまでに
上の人間が愚かなのか
愚策によって
たくさんの優秀な人材を失ってしまった事実
これが至る所に見られ
歴史にイフはないと言われますが
それでも
イフを考えてしまうのです。
なにしろ
上層部の見識が優れていれば
戦力的に勝ってしまっていた可能性すら見えるからです。
その後の日本の
現在まで続く状況を考えると
あの戦争によって
失われ破壊されたものは
取り戻すのにどれだけの力が必要になるのか
計り知れないくらいです。
80年経った現在でも
まったく取り戻せていません。
考えるとそれこそ
はらわたが煮えくりかえる思いです。
縄文という希望
あるとき
縄文時代について
さまざまな新たな発見があったことを知り
興味が湧いて調べてみました。
すると
これまで私が思っていたものとは
まったく異なる
もっとレベルの高い文化が
そこにはあったのです。
そしてもっと大事なことは
縄文について調べている間
日米戦争について調べているときとは違い
ネガティブな感情が湧いてこないことに気づいたのです。
これはすごいことだと思いました。
調べる喜びだけがそこにあり
その文化を受け継いできてくれた
先人に感謝の思いがあふれました。
それで縄文についてさらに調べるようになりました。
根本的な感謝
極端にネガティブとポジティブを挙げましたが
どちらにも共通する
大切なものがあります。
それは
この時代まで引き継いできてくれた
すべての先人の存在があったからこそ
今ここで
それを学ぶことができるということです。
特に
二次大戦後は
さまざまな資料となる書籍などは
GHQによって焚書されてしまいました。
文化も文明も傷だらけにされました。
それでも今
少しずつ当時の真実にたどり着くことができるのは
名もない誰かが
その記憶や記録を
現在にまで遺してくれたおかげです。
もちろん調べて腹が立つことはありますが
知らないよりはマシで
そこから得た教訓は
未来に生かしていけるのですから。
同じように
我々も
未来に日本の記憶と記録を
伝える役割をもっているのです。
恩送りという言葉がありますが
これは一つの壮大な恩送りと言えるかも知れません。
まとめ
歴史を今学び
そこから教訓を得たり
希望を見出したりすることができるのは
ひとえにそれを遺してくれた先人によります。
それら先人の思いを受け継ぎ
未来に遺すことが
我々がやるべき一つの行いであることは
間違いないと思っています。
今日もありがとうございました。


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