こんにちは、コウヤです。
いつもご覧くださり、ありがとうございます。
初めましての方も、ありがとうございます。
さて、今回は
「弱さを見せることの重要性と自己解放の道」
というテーマでお伝えさせていただきます。
よろしくお願いいたします。
人にそれぞれ弱さがある
私たちだけでなく、全ての動物や生き物には、弱さがあります。
もちろん強さもあります。
ここでいう弱さや強さとは、体格的や力関係などの強弱ではありません。
強みとか弱みという意味で捉えてもらえたらOKです。
さて、私たちには誰にも弱さというものがあるのですが、中にはその弱さを隠すためにわざと威圧的になったり、大声を出したりして
「自分は強いんだ」
と言わんばかりの態度を示してくる人もいます。
反対に、なよなよしてシャキッとできないような人もいます。
もちろん、その人なりの生き方でもあり性質や特質でもあるのですが、人間関係を上手くしていくという意味では、両者ともにあまりいいものではありません。
弱さをしっかり見せることが信頼の一つ
強くなくてはダメ、弱いのはダメなど、子供の時に言い聞かされた人もいると思います。
私もその一人でしたが、喧嘩をしたり、相手を殴って傷付けたりするのはもちろんダメだと言われて育ってきました。(気に入らない事があると両親に殴られたり蹴られたりしたこともありますし、他者から大いに傷付けられる言葉を言われても言い返せなかった故に、色々な負の感情が心の中に蓄積し、本当に何もかも信じられなくなり、常に追い詰められた状態にまで追い込まれたこともありました。)
しかし、そんな私もずっと弱さを見せてきた訳ではなく、むしろその出来事を経験したからこそ初めて人に弱さを見せることができました。
その相手は、私の妻が初めてでした。
その日の私は、いじめに繋がる行動を対応していたのですが、事実を認めない加害者側の一族に犯罪まがいの行動を起こされ、自分の立場を守るために校長も加害者の行動を容認し便乗してきたため、今までで一番絶望しました。
帰宅した時は、既に日付を跨いでいました。
夕食も取らずに私を待っていた妻に、私は
「教師をやめたい」
と、10年続けて初めて口にしたのです。
妻はずっと私の話を聞いてくれた上で、
「そんな学校なら、もう辞めてもいいよ。貴方を受け入れてくれるところは他にもあるし、そんな学校に居続ける必要はないよ。」
と言ってくれたので、その場でやっと泣くことが出来たのです。
私が弱さを見せることが出来たのは、その日だけではありませんでした。
私がその日までずっと対応してきた、被害に遭われたご家族の方は、その翌日から2学期が終わるまで毎日私のいる教室まで来てくれたり、放課後に電話をかけてきてくれたり、本当に毎日私を励ましてくれました。
そのご家族とは、教師を辞めた今でも交流していますし、今では本気で信頼できる数少ない人たちです。
自分らしく生きるために
人は、日々の生活の中で自分を抑えたり、隠したりしながら生きていることがあります。
本来の自分を抑えたり、隠したり知ることは、本当の自分を騙すことにもつながりますし、偽物の自分を演じる事には限界があります。
そして、そんな生活を続けていると、本当の自分を見失うことになり、どれが本当の自分が分からなくなってしまうことがあります。
それは、実は親子関係に起因するところがあります。
親子関係の中で、
- 親に褒められたい
- 親に認められたい
- 親に受け入れてもらいたい
と思う結果として、親の前で良い子に振舞ったり、ワガママを言えなかったり、自分の意見を言うことが出来なかったりするという経験があるのです。
つまり、子供のころの自分を癒すことが出来るようになると、ありのままの自分を開放することが出来るようになってきます。
幼少の頃の自分の経験を書き出し、その時にどんな気持ちになったのかも、しっかり自分の言葉でアウトプットした後で、大人になった自分が子供の時の自分を癒す言葉をかけてあげることで、少しでも幼少の時の自分が癒されるかもしれません。
本来のあなたを取り戻すために、貴方が自分らしく生きていくために、貴方らしく生きていくことはきっと幸せな道に繋がります
まとめ
今回は、弱さを見せることの重要性と自己解放の道というテーマでお伝えしました。
人には誰しも弱さがあり、強さと同様にそれを受け入れることが大切です。
弱さを隠すために威圧的になる人もいれば、逆に自信を持てない人もいますが、信頼関係を築くためには弱さを見せることが重要です。
人は日々自分を抑えたり隠したりしがちですが、幼少期の経験が影響していることもあります。
過去を振り返り、自己を癒すことで本来の自分を取り戻し、自分らしく生きることが幸せにつながることがあります。
コメント